講師インタビュー 一戸 英男「達人を育てたい」

研修で「何を学ぶのか」も重要ですが、 「誰から学ぶのか」も重視される時代。SEプラスの研修で登壇する講師がどんなことを思いながらコースを実施しているのか、講師にインタビューしています。
今回は SE カレッジの OS インフラ分野で主に登壇される 一戸 英男 さんです!
“NetScape Navigator の OSS 化” 、 “ブラウザ戦争” などインターネットの歴史に残る企業でキャリアを積まれた話や、著書が 15 年以上売れ続ける理由は「あえて初級者を狙わなかったこと」と語られるなど、 IT エンジニア育成へのこだわりををインタビューしました。 ぜひご覧ください !!

1965 年秋田県生まれ。 インターネット黎明期よりサーバ構築、ネットワーク構築を中心に様々な職種に携わる。 家電メーカーからキャリアをスタートし、インターネットの元祖とも言われるブラウザ Netscape Navaigator を生み出したネットスケープコミュニケーションズに転職。 以降もアメリカのテック企業で活躍。
現在は独立し、 Web アプリケーションやセキュリティのコンサルティングをしながら、研修講師をメインに仕事をしている。
著書に、移り変わりの激しいコンピュータ書において異例のロングセラーを誇る「図解でわかる Linux サーバ構築・設定のすべて」(日本実業出版社 刊)があり、 2005 年刊行から 15 年以上を経た今でも増刷を続けている。
プライベートでは、コロナ禍以降、辛いものが好きでお取り寄せにハマっている。 最近のオススメは “辛辛魚 (からからうお)” (寿がきや食品) と海自のカレー。
インタビュアー: SEプラス 寺井 彩香
黎明期から C 言語と UNIX に傾倒。 50 冊の英語ドキュメントで開発
―― 一戸さんというと “サーバ構築” というほど登壇が多いのですが、そういった技術に取り組むようになったのはいつからだったのでしょうか?
唯一、参考にできるのは英語のドキュメントだけで 3 cm くらいのものが 50 冊ぐらいあって、それを読みながら実験していました。
―― そんな道なき道のような環境で開発されていたとはスゴイですね。 そこで培った技術が社会人になっても活かされたのですね?
そうですね、平成元年に家電メーカーに入って C 言語と UNIX を使う仕事に就きました。 ちなみに平成元年は商用でインターネット接続サービスが開始されたり、 C 言語も ANSI で標準化されたり、私にとってはエポックメイキングな年でした。
その C 言語と UNIX の技術を見込まれて、会社から課せられたミッションが 3 つありました。
- 社内にインターネットを広めて海外拠点も含めて繋げる
- 家電のファームウェアに載っているアセンブラプログラムを C 言語にリプレイス
- 同じマイコンチップを使っている事業部で共通で使える設計を考えよ
―― どれも新人に任せられるレベルの仕事ではないですね … 。 どのように進められたのでしょうか?
特に厄介だったのがアセンブラプログラムのリプレイスですね。 当時は社内に抵抗勢力が多かったんですよ。
そこで内緒でテレビのマイコンプログラムでリプレイスに取り組んでみて、 3 日間で C 言語で組めて、またアセンブラよりコード量を 2 割削減できました。 当時はプログラムの量によってマイコンの値段が決まっていたので、コストダウンに繋がりました。
それを聞いて、各事業部で優秀な人が手伝ってもらえるようになり、どんどん広まりました。
―― それはスゴイ! 進め方も新人離れしてますね !!
そのミッションは 3 年ほどでようやく成果が出て、そのあとは全社の億単位の設備投資の計画なども行うようになりました。

インターネットの歴史を当事者として経験
―― 出世街道まっしぐらですね! その後どのようなキャリアを積まれたのでしょうか?
その家電メーカーに 10 年間在籍したあと、アメリカのネットスケープコミュニケーションズに転職しました。 インターネットブラウザでは先駆的な Netscape Navaigator を開発した会社で、シェアも圧倒的でした。
―― ネットスケープ … 、インターネットの歴史で聞いたことがあるような気がします … 。
若い方だとそうなりますよね(笑)。 いまはもう開発が終了されて、 Firefox となって残っています。
―― えっ、そうなんですね!
Firefox の原型となった出来事として Netscape Navaigator を、まだ一般的ではなかった OSS として公開するなど、世界に衝撃を与えた企業で、インターネットの基礎を作ったとも言えます。 私にとっても憧れの企業でした。
―― GAFA のようなテックジャイアントだったのですね
そうとも言えるかも知れませんね。 世界各国から集まった沢山のスーパーエンジニアに会えたのは、とても刺激的でした。
―― そんな環境でどのような仕事をされていたのでしょうか?
ネットスケープコミュニケーションズはブラウザだけでなく、 Web サーバなど様々な業務用サーバを提供する企業でもありました。 私はその仕事に携わっていて、主にテクニカルサポートやチューニングをやっていました。
ただ 1 年ぐらいで辞めることになりました。
―― そんな憧れの企業だったのに、どうしてだったのでしょうか?
これも歴史的なものですが、 “ブラウザ戦争” が起こり Microsoft の Internet Explorer に負けたためです。
―― これもインターネットの歴史で見たことがあります! そんな出来事を経験されていたとは … 。
それでネットスケープコミュニケーションズを退職後、これも世界初のインターネットサービスプロバイダーとなった PSINet に転職しました。
―― インターネットの歴史そのままのキャリアですね!
ただ、今度はサーバエンジニアではなく、営業になりました。
―― 営業 … ですか !? 何かお考えが変わったのでしょうか?
当時、技術がわかってない顧客が多かったので、技術がわかる人が製品を案内すると喜ばれると思ったんですね。 実際、まだ存在しないサービスや製品を案内するような新規開拓営業もいましたし(笑)。
ただ営業と言ってもプリセールスエンジニアで、新規開拓営業と一緒にお客様も回りながら、コンサルティングする仕事でした。
―― 初めての営業はいかがでしたか?
最初は言葉が出なかったですね。 でも、 3 ヶ月もすると、営業より私が顧客とよく話すようになりました。
―― さすがです!
その後、 PSInet は日本初のデータセンターを作ったりもしましたが、投資しすぎて、それが回らないようになり、買収されてしまい、私も転職しました。
―― ベンチャーでキャリアを続ける、というのは移り変わりが激しく非常に難しいのですね。
一方で、一戸さんからはサーバやインフラへの変わらぬ愛情を感じるのですが、インフラの魅力はどのようなところにあるのでしょうか?
インフラの楽しさは沢山の人に使ってもらえることですね。 アプリケーションはどちらかというと特定の方に向けたものですが、それに比べるとインフラは全員が使うものなので利用者数が全然違います。
―― 確かにそうですね。 でも、利用者が多いだけにインフラは大変ですよね
そうなんですよね。 昔ですが、所属していた企業で J-PHONE と au のキャリアメールのサーバを構築・運用していたことがあって、サーバが 1 万台ぐらいあって構成するのは大変でした。
―― 今のように自動設定がない時代に、そんな規模を運用するのは、ちょっと想像できないですね
さらに、そこでバージョンアップがあり、ノンストップが条件だったので、順次切り替えながら、 1 日 1 時間ぐらいしか寝れないのが 1 ヶ月続いて、完了させたこともありました。 今の時代では絶対にできないことですが(笑)。
―― インフラの仕事にはそんな大変さと利用者が多いやりがいがあるのですね

達人を育てたい
―― 華麗なキャリアもさることながら、一戸さんは本も書かれています。 そのきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
ファイアウォール製品を提供する会社にいた際、その社長から日本実業出版社を紹介されて、「初心者向けの Linux を書いてほしい」と依頼を受けたのがきっかけでした。
この本は 2005 年に出版されたのですが、 2022 年の今でも増刷を続けています。

―― 発売から 15 年以上経っても売れ続けているとは驚きですね。 長く読まれ続けるポイントはどのようなところにあったのでしょうか?
これまで UNIX の Solaris を使った様々な構築・運用経験が豊富にあったので、それを Linux に置き換えるとどうなるか、という切り口で書きました。
そうすると、教科書のような理論の話は抑えめで、今起こっている現場で困っていることを解決できる内容になりました。 また Linux のプリミティブな設定にこだわったものにしました。
このように初級者ではなく、中級者向けの内容だったこともあって、それが今でも読まれるものになったのだと思います。
―― 確かに、初級者向けのコンテンツは技術の発展の影響を受けやすいので、すぐ売れなくなりますものね
また、当時はコンピュータ書では珍しく amazon の全ジャンル、文芸書やビジネス書、マンガなど全て含めて 27 位に入りました。
―― 全ジャンルで技術書が 27 位になれるんですね! 驚きました
出版社の中でも話題になったそうです。
―― 講師になられたのも、この執筆書があったからなのでしょうか?
いえ、本があったからという訳ではありません。 “教える” という点では、家電メーカーに入社して 1 年目から、お話したように新しい技術を技術を広めることをやっていたので、講師に近いことはやっていました。
本格的に講師を務めるようになったのは、起業してからですね。
起業した直後に起こったリーマンショックの影響で事業を見直したときに、新人研修で補助金が出るようになり、講師として呼ばれるようになりました。 それから講師として登壇することが増えました。
―― 起業した直後にリーマンショックとは … 。 起業後はどのような仕事をされるようになったのですか?
従来のインフラの需要が減ったため、 Web アプリケーションの開発をするようになりました。 旅行や人材業界向けのアプリケーションを行ったり、あとはセキュリティですね。 ある大手企業向けのスパム対策メールフィルターの開発や、自動車のメーカーにペネトレーションテスト(*)をしたり、改ざんされたものを戻したり。
* アプリケーションに対する侵入テスト
―― セキュリティといってもお話を聞くと、難易度高めの案件ですね
と言っても、今はシフトして、売上の 8 割は講師です。
―― なるほど。 では、その講師として一戸さんはどのようなことにこだわってらっしゃるのでしょうか?
わかりやすい言葉にする、わかりやすく説明する、というよりは、「なぜ、これが必要なのか」を中心に説明しています。 これは、技術にこだわる方や “なぜ動くのか” 疑問に思ってしまう方には面白いと感じてもらえるからです。
やっぱり、どんどんプロフェッショナルや達人を育てたいですね。
info_outline一戸さんの研修の模様
―― 先程の本と同じということですね。
では、最後に受講される方へのアドバイスがあればお願いします!
学習していると、結果がすぐにでない時期があり、フラストレーションが溜まりがちです。 学習曲線は線形ではなく非線形なので、我慢して続けられるかどうか、それが重要です。
そういうときも、研修内容を 10 分、 15 分 でも予習すると、「理解できた!」という体験がしやすくなるので、もっと面白くなります。 ぜひやってみてください。
―― 貴重なアドバイス、ありがとうございました!
ありがとうございました。


SEプラスにしかないコンテンツや、研修サービスの運営情報を発信しています。
大学からですね。 C 言語と UNIX サーバを使って独自の CAD を作っていました。 色をつけたものはできなかったものの、線だけのワイヤーフレームをグリグリ動かすようなことはできました。
ただ、当時所属している学科や先生に C 言語と UNIX を触っている人がおらず、技術的にもまだ黎明期だったこともあって、書籍もなく、開発するのは大変でした。